【開催報告】
2023.10.28:うみたいわ~ラーニング・ジャーニー 2023#6 「原発事故発災当時子どもだった人々の声を聴く」ゲスト:明智 礼華さん、安積 宇宙 さん、関 健太郎 さん、高垣 慶太 さん
東日本大震災に続く福島第一原発事故当時、まだ子供だった四人の方から、それぞれの目を通して、あの事故とそれぞれのその後について話をうかがい、参加者全員で語り合いました。
●4人の自己紹介
●うっちーによる311を振り返るマインドフルネス
●さえこさんによる四人のインタビュー(うみたいわ山本が、こう聞きましたという例としてご参照ください)
問1:あなたにとっての福島原発事故、そして事故後の世界の体験といった時に思い浮かぶ、一番印象に残っていることは何でしょうか?
明智 礼華さん:「168」
福島原発事故で放出された放射能が広島原爆168個分に相当するという話から、広島の被爆直後の風景を思い浮かべて、福島はビルや家屋の倒壊はなかったけれど、家屋がほとんど倒壊してしまった、あの広島の168倍もの放射能が拡散されてしまったという事実に、改めてことの重大性を思い知ったのです。
安積 宇宙さん:「Displaced」(Dis・placed: 除去・場所)
辞書にある「難民」の意味としてではなくて、国連が規定するIDP、Internal Displaced People(国内避難民)で使われている Displacedです。それは別の場所へ移ることを強いられたことを意味する言葉で、事故後ニュージーランドへ避難した私は、見方を変えれば事故によってそれまで暮らしていた居所を離れることを強いられたと感じています。「避難」は個人的な選択と見られるけれど、国や東電の責任で運転していた原発の事故で Displacedさせられたという視点で考える方が自分にはしっくり来ます。
関 健太郎さん:「自然災害の大きさ」
福島に押し寄せた津波の大きさが思い浮かんで、自然災害は人間の想像、そして科学技術を超えたところから襲ってくること、人間の営みの限界のことを思いました。その結果が原子力発電所の事故と二次災害を引き起こしたわけで、科学に関わるものとしてそのことを一番に認識しなくてはいけないと感じています。
高垣 慶太さん:「豊かさの先」
例えば電気を使うこととか、生きていく上で不可欠と思っているものを作ることが、発電所であるなら、原発のように大量につくって雇用を産み地域が潤うというような仕組みが、地球という惑星をみんなで分け合って、自然とともに生きていくという姿勢から観たとき間違えだったのに、今またどんどんそれを忘れてきている感じもしていて、物やお金が潤沢にあって、資本主義的なシステムを是として物質的な豊かさを求めて行く先に何が待っているのかを想像しなくてはいけないし、知り合ったマーシャル諸島の人たちの海と交わって生きる根源的な人としての豊かさのようなものを考るべきなのに、それを忘れて物による豊かさをまた求めてる現状に、私たちはあの事故から何を学んだのかを考えさせられてしまいます。
問1二巡目
明智 礼華さん
宇宙さんの話から、国連・国内避難民特別報告者のヒメネス・ダマリーさんがまとめた報告書の日本語訳が待ち望まれること。世界があの福島の事故をどうみているかを日本の中枢の人たちに知って欲しい。 健太郎さんの話から、自然への畏怖と核実験による放射能から生まれたゴジラを思い浮かべて自然災害と放射能災害について考え続けていきたい。 慶太さんの話から、豊かさについて改めて考えて、その豊かさを越えて武器としての劣化ウラン弾や、放射性の汚染水を海へ流し始めたことも心を痛めている。
安積 宇宙さん
慶太さんの豊かさについての話から、ニュージーランドで最初に暮らしたところは四千人しか住んでいない町で、お店は五時には閉まってしまい、必要最低限度の物しか買えないけれど豊かだったと感じました。南太平洋の島々や先住民マオリの人々の伝統的な暮らしは、人間だけでなくすべての命を畏怖することから始まっていて、それを現代社会は見失ってしまっていると感じるます。ニュージーランドは先進国ではあるけれど、マオリの人々がいることで見失い過ぎていないところがある気がします。1987年にニュークリアフリー宣言を市民の手で勝ち取ったのも豊かさが何かを知ってる証かもしれない。
もうひとつ、原発事故で避難をする理由の一つとして、放射能で影響を受けたら障害を持つ子供が産まれてくる可能性があるから、というものがあって、私自身は障害を持って産まれてきてるので、放射能の被害は本当にダメだけれど、障害を持って産まれてくることは悪いことではないということを思っていて、障害を持っていない人からすると相対するような考えを同時に自分の中で体現していて、どういう風に放射能のことと健康被害と障害のことを考えるのかにいついて考えています。
関 健太郎さん
慶太さんの行き過ぎた資本主義の話は納得ですが、資本主義に組み込まれた大学の科学は新素材とか常に新しいことが求められます。食べるものを作る農業もそれを使う料理も、今の当たり前の暮らしはすべて原始時代から科学が新しく発見してきたことの積み重ねで、今の生活基盤を支える、過去に新しく発見されてきたことを大切にして、それを教えていくことも大事だと思います。
高垣 慶太さん
礼華さんの168発分という話から、関わってきた広島の被爆者の人たちのことを思い浮かべて、原発事故前には、原爆投下の数年後に復興記念祭や平和博覧会のような感じで原子力の平和利用を謳って原発の展示などもあった結果、原爆に反対する被爆者・市民団体は原発を容認するかしないかで活動が二分されていた過去があって、それが原発事故後は反対して来なかったことが事故に繋がったというか、放射線被害を防げなかった後悔のような思い持った人たちが少なからずいたようです。そのような過去もあって、目指すところは同じような方向なんだけれども、やり方とか主張が少しずつ違ことで分断が生まれて、広島の経験から学ぼうとする福島からの避難者の方たちにまでその負の連鎖が受け継がれてしまうという話を聞いて、それによって活動が広がらない状態があって、どうやってその負の連鎖断ち切れるのか考えています。
問2:今あなたが一番大切にしていること、重要な目標と思っていることは何ですか?
明智 礼華さん
原発事故後、大学進学で移り住んだ京都の狭い部屋に、事故のために家族みんなが避難し、辛い思いをしたことを裁判では理解してもらえず、改めて当時の自分と再び向き合いたいと思っています。
安積 宇宙さん
避難したときの辛さと向き合うこと。ニュージーランドへ避難してきて自分は安全になったけれど、大好きな人達はまだ日本にいて、自分が安全な中にいることを良いことと受け止められずに長い間過ごしていました。今日たまたま参加した、パレスチナと連帯するデモで聞いた「自分の目の前は平和だけれど、自分につながる人々が殺されている状況の中で、ここにいることを幸せには感じられない」というスピーチでそのことを思い出しました。自分の気持が大きく揺れて、原発事故のことが未だに解決していないっていうことを感じています。
もうひとつは、不常理なことが多すぎる社会の中で、自分が違うんじゃないかなって思うことに対して、これがそのやり方だからって従うことを強いる圧力に対して、自分の思いを裏切らないで生きていきたいなっていう風に思っていて、そのためには同じような思いを持ってる人と繋がっていきたいなっていう風に思って、連帯することを大切にしたいと思います。
関 健太郎さん
大切な人と会う時間が、仕事や自分の専門の勉強をしていく中で、少くなくなくなっていて、昔一緒に話してた人と専門が違うことで話が合わなくなってきて、話さなくなってちゃうみたいなことが最近すごいあって、ここの「うみたいわ」もそうですが、こういういろんな人と話すってめちゃくちゃ大事だし、色んな人と話して共感し合うことによって、人の大切さみたいなことを気づかせてくれるので、人と関わり合いわりをすごい大事にしたいなっ
て思っています。
高垣 慶太さん
被害者の人たちの声を聞くとか、被害をしっかり知って伝えていくっていうことが僕にとっては今一番大事かなと思っていて、原発の事故もそうだし、今起きてるいろんな紛争もそうですけど、個人個人の話というよりも、大きな物事として語られちゃって、その下にいる人たちがどんな思いをしてるとか、どういう状況にあるのかっていう、一人ひとりの被害を受けた側の人たちがどういうことを思ってるのかっていうことが、僕は一番大切にされなくちゃいけないことだと思っています。
例えば核兵器の実験で被害を受けた地域の人達がいて、今核兵器によって脅したりするみたいなことがウクライナの戦争でも起きてる中で、核兵器によって自分たちの安全を守ろうっていう考え方があるけれども、そもそもそこには被害があるし被害と共に生き続けてる人たちがいる、その影響と共に生き続けてる人がいるっていうことが、あまりにも顧みられていないし、どんどんその人たちを置き去りにして社会を作ろうとしてるような感じ、不都合なものから目を遠ざけるっていうことが、ずっと今も続いてるっていう風に思うんですね。なのでそういう意味では、彼らにとっての不都合なものをちゃんと明確に伝えていかなければ、そういう努力をし続けないと、失われていってしまう記憶だと思うし、消えていく被害だと思うんですね。なので僕はそういうものを、取りこぼさないっていう努力をしていくにはどうしたらいいんだろうってことを、模索しながらす過ごしているというか、自分には何ができるんだろうっていうことを日々考えながら、活動したりあるいは勉強したりしています。
問3:今まで話してきて響いている事とか付け加えたいこと、そして、四人の皆さんが一番大切に思っていることを実現するために、ここにいる他の19名の参加者にできることは何かありますか?
明智 礼華さん
事故から12年13年って経って社会の状況とか生活していくことそのものがどんどんしんどくなったりしていきますけど、私たちが受けた原発事故の影響を伝えていくために皆さんの力をお借りしたいと思います。私はチェルノブイリとか体験していない世代なので、原子力を進めてきた責任はないかもしれないけれども、原発事故を経験してしまって、しかも汚染水まで流してしまっている現状を経験している世代にはなってしまったので、これからの若い世代の人たちへの責任っていう点では、私も皆さんと同じになってしまったと思うので、一緒にやっていきたい、繋がっていきたいと思います。
最後の一言ですね。慶太さん、私の専攻は歴史学ですけど縄文から現代まで全部網羅してるわけじゃなくて、本当に自分の興味のあるとこだけしか分からないんですけど、私は広島・長崎・チェルノブイリとか、被爆をした人との連帯を本当に強めていかないと私たちの訴訟でも勝てないと思いますし、あの広島の人たちが当時黙らされてしまったっていう状況はりあるんだと思いますで、それが今の福島にもあって、でもそれでは本当に被害がなかったことにされてしまうから、黙るのはやめようっていうのが私が大学学部の時に考えたことで、私も世界の被爆者の人たち被爆をした先輩の人たちの歴史を学びながら、被爆って嫌だよねってことを伝えていきたいと思っています。
安積 宇宙さん
皆さんにしてもらいたいことの一つとして、日本ではあんまり語られないけれど、ニュージーランドは植民支配をされている国なので、植民自治配の影響っていうことをすごくよく学ぶ機会があって、太平洋に対しての核実験も植民支配の構造っていうのがすごく大きく影響していて、それは西洋の国々が権力を持っていて、それ以外の国々を対等な人と思わないような形で、資源を奪ったり土地を奪ったり人の命を奪ったりするっていう構造のことを植民支配って言うけれど、日本は植民支配を他のアジアにしてきた立場として、今もアイヌの人ただったり沖縄に対してだったりいろんな各地に対して、本土の人っていうのは植民支配を支えている側だと思っているので、日本の人たちにもっと植民支配っていうものがどういう構造の中で成り立っていて、それが今も私たちの生活の中でどういう風に影響をもたらしてるかっていうのを勉強したいし、して欲しいなって思います。
私がこれを読んだらいい勉強になるよっていう本を、日本語でパッと言えないのがすごく申し訳なくって調べますけど、こっちにいるとすごくラッキーなことにそれがどういうことなのかっていうのを、日々の生活の中で知る機会がたくさんあって、そのことが、本当に原発事故のこともそうだし、パレスチナで起こっていることも、この社会がどういう風に成立っているか、なぜ戦争が起きるのか、なぜ暴力が止まらないのかっていうことの根源に、植民支配っていう考えがすごく大きく影響しているので、それを知ってくれたら嬉しいなと思います。
もう1つ思ったのはこの前あのベディさんにも会ったのは、私が住むダニーデンていう街で太平洋の中で被爆を経験した人たちのカンファレンスがあって、各地から、あの広島からも田中俊子さんがいらして、お話してくださったんですけれど、その中で核の被爆を経験した人たちの共通の経験に「ガスライティング」っていう経験があって日本語であのガスライティングっていうのを意味を調べると
『心理的虐待の一種であり、被害者に些細な嫌がらせ行為をしたり、故意に誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気、もしくは自身の認識を疑うよう仕向ける手法』っていう風に書いてあって、本当に放射能の被害っていうのは目に見えないから、自分がどんな被害を受けたかっていうのを表現する時に、それはあなたの思い込みだよとか、あなたは考えすぎなんだっていうような、日本語でも放射能の「能」に脳みその「脳」っていう漢字を使うような言葉ができいるように、まさにガスライティングっていうものだと思うので本当に自分の気持ちを自分で受け止められないっていうか、自分のことを疑わせるように仕向むけてくるようなメッセージがいっぱいある中で、自分の感覚を自分の気持ちを疑わない、ちゃんと自分の気持ちを受け止めてあげるっていうことを、被爆とか核のことについて考える時には、すごく大切だなっていう風にそカンファレンスで感じたのを思い出したので、それを共有して、終わりにしたいと思います。
関 健太郎さん
今日は皆さんのそれぞれのバックグラウンドと、そこからのストーリーと、発言をシェアすることの大切さを感じて、これから原発の再稼働やトリチウム水、あとは使用済み核燃料の処理施設のことが多分問題になってくると思うんですけど、その時にこういったストーリーを原子力に関わってる人たちは絶対知らないので、向こうも人間なんだっていうことを分かった上で、皆さんの話を共有してあげたいと思って、個人的に繋がったり、お互いフラットになって、ストーリーを伝え合って共感できる場にあって、対話するっていうことが大事だなって思って、さっき慶太さんも分断って言ってましたけど、分断の根本にあるのはお互いの共通の話の土台が欠けてるってことがあると思ってて、原子力関わってる人たちにも知って欲しいなっていうのをすごい思いました。
高垣 慶太さん
あの被爆っていうことで、最近実は福島の方たちと広島の研修をした時に、広島の被爆者の調査をしていた、かつてのABCC、今で言う放射線影響研究所を訪問して話を伺う機会があったんですね。まだまだ被爆者にどんな影響があるのかっていう調査を今後も続けていかなくちゃいけないっていう話をされていたんですけれども、これからも核施設が作られていく中で、自分たちに及ぼす影響がどれくらいのものなのかっていうのがまだ分かってこない。数世代先まで影響を及ぼし続けるものであるっていうことは間違いないんだけれども、具体的にどんなこう影響を及ぼすのかとかっていうことは、多分これから先にしか分かってこないことなんだろうなと思うんですね。
だから今の世代だけの問題じゃ当然ない。未来の人たちの人生、まだ生まれてきてない人達も、残念ながら核のある世界に生きてしまうっていうことだと思うんですけど、そんな中でどんなことができるのかって考えると無力に感じてしまうことの方が多いというか、でも福島のことっていうのは、僕は人類が刻まなくちゃいけない歴史だと思って、出来事というか絶対に忘れてはならない何かしらの教訓を、自分たちに提示してるものだと思うし、それをなんて言うか復興とか、日本の小さな一つの地域の立ち上がりみたいな、彩られた、形作られた歴史として残すのではなくて、それが誤ち、一つの誤ちなんだっていうことを、きちんと捉えられるような残し方をしていかなくちゃいけないとは思うんですよね。
だからそのそのためには、どうやって話を聞いてもらうのかとかどうやって人と話をするのかっていうことが、すごく思考錯誤が求められると思うんですけど、どんなことになっても諦めないっていうことはすごく大切なんだろうなと思うし、僕のよくお世話になってる広島の被爆者の人が、よく話をし終わる時にいつも言うのは、平和っていうものはすごくもろいものなんだと、すぐに逃げてしまうもので、風船みたいなものだから、みんなでしっかりとそれを掴んで離さないようにたぐり寄せて、みんなで守っていくものなんだっていう話をするんですね。
だからやっぱりあの努力をしていかなくちゃ、同じことが繰り返されちゃうっていうこともその言葉の中には入ってると思うんですけど、そういう言葉を皆さんも是非ちょっと心に納めていただいて、それぞれのできるところから一緒にやっていけたらいいなという風に僕は思っているので、是非またこう対面でもお会いしてお話しできたり何かできることがあれば一緒にやっていけたらいいなという風に思います。
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- 参加者数人による小部屋での対話
- 全体での対話
- 今後のアナウンス
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◎感想
- 4人の方々の、他者に開かれ、他者から学ぶ姿勢と、深い知性に感動しました。
宇宙さんの、障害をもって生きることは悪いことではないということと、被ばくさせられることの問題をどう同時に言っていけるか、という問題意識は、私自身にとってもずっと重要な問題で、他の参加者の方々もしっかりと受け止められていたのを感じて、とても大切なことが起きたと思いました。不条理なことがたくさん起き続けている中で、自分自身の本当の想いを裏切らない自分でいたい、という言葉。放課後で、経験=知性とみることの誤りと、経験によって見えなくさせられているものに気づかせる存在としての若い人々、というお話は、まさに今回のうみたいわの意図に重なるお話でした。
礼華さんの、事故後苦しかった想い、それを今も癒そうとしている姿、苦しんでいる若い人たちに寄り添える人でありたいと語ったこと。
健太郎さんの、開かれた姿勢と活き活きとした好奇心。バックグラウンドも意見も異なる人々同士が、互いに人間としてフラットな場で対話をしていくことが大切と話されたこと。
慶太さんの、苦しんでいる人々の声を聴き取って教訓として伝えていこうとする情熱。深い優しさを感じました。
- 宇宙さんの話として印象に残った部分。
原発事故で避難をする理由の一つとして、放射能で影響を受けたら障害を持つ子供が産まれてくる可能性があるから、というものがあって、私自身は障害を持って産まれてきてるので、放射能の被害は本当にダメだけれど、障害を持って産まれてくることは悪いことではない、という発言。
この言葉に宇宙さんが自身の障害を通して、鍛えられ、磨かれ、強さを獲得している素晴らしさを感じました。仕事でスイスの障害者施設と関わるプロジェクトを経験したときに、施設の方が「私たちは近年 Disability(能力が阻害されている)という言い方をせず Another Ability(別の能力がある)という呼んでいます」と言われたことを思い出しました。宇宙さんはボクにない視点で世界を観る能力を持っていると感じました。
◎参加者からのご感想(アンケートからの抜粋)
- 障害をもって生まれてくることは悪いことではない。
- 物質的豊かさから心の豊かさへの変化を推進する事象だと思います。
- もっと若者と語りたい。
- インプロビゼイションである対話が成立していたこと。問題意識に繋がりを感じました。
- 経験や置かれた環境のなかで、それぞれが自身で感じ考え、それぞれのやり方で働きかけを行ってらっしゃることに素直に感銘をうけました。
- もしかしたら私も「良かれ」と思い、若い人に限らず他者の時間や自由をを奪ってるかもしれないとドキドキしました。
- 「分断をしてはならぬ」という前提を一旦手放し、その先の風景を描くようにしようと思いました。抽象的ですが。
- 登壇者がおとなや社会を責める言動を(しておかしくないところにもかかわらず)せずにむしろ自分も責任を担う存在としての言動をしていたこと。
- 4名の方のお話をお伺いして、頭のなかで「宗教二世問題」や「集団的トラウマ」について考えさせたれました。誰も説明責任を果たさないまたは果たせない中で、原発事故の衝撃の後遺症とまだまだ付き合っていかなければならないことを改めて認識させられました。
- おとなというだけで上位に立つ存在のような権力をもつこと
- 若い人たちが互いに共感して出会う姿を見ることに深い喜びを感じる自分。
- 過去(経験や既存の知識)に囚われる大人と、それを受け止めながら未来に導いていく若い人々、というイメージが湧きました。 と同時に、複数の若者が、伝統の中の深い智慧や教訓を受け継ぎ伝えようとしていること、過去と未来の橋渡しをしようとしていることが、強く印象に残りました。